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牛島慶の歴史

「やるしかない」覚悟から生まれた会社

「でしたら、辞めさせていただきます」

それが、「牛島慶」のはじまりでした。ある上場企業の一室。当時、新規事業を任されていた私たちは、社長と意見を共有できずにいました。
お互いが考えるビジネスモデルに、ミスマッチが生まれていたのです。
議論を重ねた結果、私たちは会社を辞めて、独立を決意しました。

  「やるしかない」
準備万端の起業ではなく、失敗すれば終わり。覚悟を決めた船出でした。
手がけたのは、ワンルームマンションやアパートの不動産売買。決して大きくないマーケットだからこそ、勝算がイメージできました。
当時27~28歳。「トップを取ろう!」を合言葉に、「牛島慶」の旅がはじまりました。

  気づけば、私たちに残された社会人としての時間も、あと20年ほど。
20年後、定年退職を迎えても、パワフルな私たちのままでありたい。
若い人に経験を還元しながら、「まだまだやりたいことはあるけど、お前たちに任せた!」と去っていく。
創業当初に抱いていた情熱を、初志貫徹、これからも体現していきます。

夢にあふれた仲間たちと共に歩む飽くなき挑戦

牛島慶の歩み   その時の世の中
1980年(昭和55年)10月23日
神奈川県川崎市宮前区にて
創業者吉川律夫が有限会社川信を創業。
1980
  • モスクワオリンピックが開幕
  • 日本の自動車生産台数が世界第1位
  • ジョン・レノン銃殺事件
  • ポカリスエット発売
  • 第1回の全国規模のホワイトデー開催
1992年(平成4年)10月
本社所在地を東京渋谷区へ移転
1992
  • 日本人宇宙飛行士・毛利衛が宇宙へ出発
  • 長崎県でハウステンボス開業
  • 歌手の尾崎豊が死去
  • 東海道新幹線で「のぞみ」が運転開始
  • 公立学校で第2土曜日を休業日とする学校週5日制スタート
2004年(平成16年)8月
株式会社ルーツ・コーポレーションへ組織変更
本社所在地を東京都目黒区東山へ移転
投資用ワンルームマンション事業をスタート
2004
  • 新潟県中越地震
  • 九州新幹線新八代駅~鹿児島中央駅間が開業
  • ニンテンドーDSとプレイステーション・ポータブル発売
  • 運転中の携帯電話使用が罰則対象に
  • iPad mini発売
2005年(平成17年)12月
本社所在地を東京都渋谷区恵比寿(現在)へ移転
2005
  • 愛知県で「愛・地球博」が開幕
  • 宇宙飛行士野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ
  • エクスプレス線(東京・秋葉原駅~茨城・つくば駅間)が開通
  • iTunes MusicStore OPEN
  • レクサス発売
2007年(平成19年)6月
福岡支店(現福岡支社)を設立
2007
  • 第1回東京マラソン開催
  • NTTドコモがパケット定額制サービスを開始
  • 東京ミッドタウンが開業
  • Googleが携帯電話専用検索エンジン提供開始
  • iPod touch発売
2011年(平成23年)11月
賃貸管理事業をスタート
2011
  • マグニチュード9.0の東日本大震災発生
  • 任天堂初の3D携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」発売
  • 東北新幹線で新幹線E5系電車がデビュー 最速列車「はやぶさ」運行開始
  • 地上デジタル放送に完全移行
2013年(平成25年)12月
株式会社牛島へ社名変更
2013
  • テレビ放送における東京スカイツリーからの本放送開始
  • 富士山が世界文化遺産に登録
  • 各コンビニ店頭で「"淹れたて"コーヒー」を提供開始
2015年(平成27年)2月
株式会社牛島慶へ社名変更
「住まいる!」(九州版)サイトオープン
2015年(平成27年)4月
台湾に現地法人を設立
2015年(平成27年)9月
香港に現地法人を設立
2015年(平成27年)10月
上海に現地法人を設立
2015年(平成27年)12月
「住まいる!」が全国版へ
「住まいる!」(九州版)サイトオープン
2015
  • 北陸新幹線開業、東京-金沢間が2時間半に
  • スマートウォッチ"Apple Watch"発売
  • イスラム国が日本人2人を拘束
  • 横綱白鵬が史上最多優勝
  • 第153回芥川賞をお笑い芸人の又吉直樹が受賞
  • 佐野氏の東京五輪エンブレムの使用を中止
  • 第8回ラグビーワールドカップで日本が南アフリカから歴史的勝利
  • マイナンバー制度がスタート
2016年(平成28年)2月
「finfin」サイトオープン
「finfin」サイトオープン
2016
  • 主要国首脳会談が三重県の伊勢志摩で開催
  • ポケモン GOの日本配信開始
  • SMAP解散騒動
  • イチロー選手が日米通算4257安打を達成
  • リオデジャネイロパラリンピック開催
  • 18歳選挙権施行
  • 広島が25年ぶりにリーグ優勝
  • AppleからiPhone 7が発売
  • PlayStation VR発売
  2017  

「サラリーマン」から「経営者」へ進化できる環境を作る

現在、大切にしているのは、社員一人ひとりが成長できる環境づくり。
特に「経営者」になれるような人材を育成しています。なぜなら、経験を積んだ「サラリーマン」が、最後にステップアップした姿こそ「経営者」であると考えているから。

  たとえば、私たちの業界では、5~6年ほど精力的に働いていると、だれもが横一線の実力を身につけます。その先は、自分なりの哲学が磨かれていくステージ。もちろん、会社に残って、力を貸してくれるのもうれしいですが、その人の成長を考えると、「牛島慶」を卒業するのもひとつの選択肢。
自分ひとりだけではなく、部下の人生まで背負いながら、自分の哲学を最大限に発揮していく。そんな「経営者」へとステップアップできたとき、その人のプレゼンスはさらに高まると思うのです。

だからこそ、私たちは、新入社員にも積極的にチャンスを与えていきます。数日間の研修後、すぐに第一線の現場を任せることだってあります。経歴も問いません。優等生でも、やんちゃ坊主でも、大学を出ていなくても、社会というステージで新たなスタートを切れるように。
現代日本は学歴社会と呼ばれ、一度つまずいてしまうとなかなかチャンスを与えられません。悔しさを噛み締めてきた人も多いでしょう。そんな「無名の才能」たちの受け皿になりたい。

  過去にも、たくさんの社員が、「牛島慶」を卒業して独立していきました。新陳代謝は活発に行われ、次世代を担う社員にはチャンスがあふれています。いっそのこと、踏み台にしてくれても構いません。どこよりも成長できる環境を用意して、新しい血を待っています。

  FUTURE  

「世界」という言葉はなくなっていく

未来の「牛島慶」は、世界にいます。
これからは必ず、海外進出していきたい。
日本独自の食文化などを事業化し、海外の人を魅了していく展望を思い描いています。

  海外進出は決して、特別なことではありません。グローバル化が進んでいる昨今、やがて「世界」という言葉はなくなっていきます。日本と他国との間から、垣根が消えていくのです。そのとき、海外のマーケットに日本企業が参入するのは、むしろ当たり前。

  「アメリカで勝負したい」
10代のころから、そんな衝動に駆られていました。
出身は福岡県筑後市。確かに、アメリカの国土と比べれば、ちっぽけな田舎町です。けれども、気後れはありませんでした。「アメリカに行って、アメリカで死ぬ」とさえ考えていました。幼心が生んだ、無垢な野心だったのだと思います。

  そんな野心やバイタリティが、「牛島慶」の原点。これからも、「成長したい」「トライしたい」「経営者になりたい」という夢にあふれた仲間たちと一緒に、飽くなき挑戦を続けていきます。

代表取締役 牛島 慶二郎


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